数日前、私ははま寿司のカウンター席に座っていた。
その日は朝5時から10時まではマクドナルドで、
14時までは近くの私立図書館に行って勉強等をこなす。
その後お腹が空き、今日の褒美とばかりにJAFの1皿
無料クーポンを片手にこの場に赴く。
席に座ってボーっとメニューを眺めていたが、回転レール
に回っているのは全て注文中のお皿だけだった。
できた品がたくさん用意されていて、食べたいものが回ってくるまで待って食べるのが回転ずしのイメージでした。
今は好きなものを注文するとレールに流れてきます。
かっぱ寿司では回転レールを失くして新幹線のデザインをしたレールだけに統一されつつあるようです。
“回転すし屋”として、発展してきた大手チェーン店にも時代の流れによる変化が起きています。
廃棄問題や客のニーズの変化が要因だとしても、時代の変遷を感じる一件となりました。
おそらく、回転ずし屋は何年か後にはほとんど見ることがなくなっているでしょう。
〇人間の人生も同じ
「時代は変わっていく、時と共に・・・。」
当時正しいと思って行っていたことも、今となってはどうしてそれに力を入れていたのだろうかと疑問に思うことがあります。
私の例であげると、大学にこだわった点です。
大学に行くことが当たり前で、高学歴の方が良い就職先が見つかり、安定した生活を送ることができる。
当時はそう信じていたので、親に立派な姿を見せようと熱心に受験勉強をしていました。
結局本番で大失敗して、センター利用でも余裕で受かるような大学にいってしまいました。(そのセンター試験という形式も終わりを告げます)
しかし、現実は高校生と同じ給料で働き、自分のお金の使い方にも原因があったとはいえ、安定どころか生活も危うい状況で過ごすことになります。
バイト中に、東大に通っていた人と同じ所で働いていたことなんてありました。
高学歴が必ずしも通用しない時代。
良い大学に出たから安定した生活ができるという考え方は、もう過去の話なのかもしれません。
ただ、時間を浪費してなんとなく卒業したら何も残っていない。
私の年代で結婚する人も数多くいますが、今はそれすら考えることもできません。
今思うと、国公立の大学に行くという目標より将来の自分がどのようになりたいのかということの方が重要だったのではないかと感じています。
〇生活の危機が進化を促す
生物は時代が変わるにつれて様々な進化を遂げてきました。
人間もまた同じです。
外部環境は必ず変化します。
何も考えずに過去にとらわれていると、環境が変化するだけで生き残ることができなくなります。
「その種全体のうち、環境に適用できた一握りのものが生き残り、後世へ引き継がれる」それが進化の仕組みです。
つまり、適応できなかったものは、文字通り滅ぶということになってしまいます。
今まで常識だった生活が通用しなくなり、危機感を覚えた瞬間が自分を変えるチャンスです。
「現状維持はありえない。ただ時代とともに進むか、置いていかれるかの2択しかない。」
置いて行かれた人間は、絶滅した生き物と同じ末路を歩むことになります。
気付いて必死に生きようとした先に、希望が見えます。
もし、自分の生活に危機感をもったときが変われるチャンスかもしれませんね。