最近本棚に閉まっていた1冊の本を手に取って読んでいます。
「あくまとのおしゃべり」という本です。
そのなかの一文を引用します
人間は「正しさ」以外の方法で、苦しむことなどできない
あくまとのおしゃべり(出版社:サンマーク出版 著:さとうみつろう)
の最初の一文ではっと思ったのは記憶に新しいです。
確かにその通りだと思いました。
私たちがアニメ等で見る正義の味方は、悪(障壁)に対して怒り、苦悩と戦い努力して悪と呼ばれるものを打ち砕こうとしています。
一方で純粋な悪者っていつも微笑んでいますよね。
メディアが作り出した悪者のイメージがそんな感じですが、実際のところ、正義の味方に完全にやられるまでは怒りの感情を表すことはないでしょう。
これは私生活にも言えます。
例1.)会社勤め
私たちが「正義」としてブラック企業が「悪」としましょう。
まず前提として、会社に定年までずっと勤めるということが正義だとします。
<参考>
(時代は変わってきているものの、日本に至っては入社したら定年まで勤めるつもりでいるのが一般的です。転職を何回かしている人に対して軽視している人も結構いるようですが・・・この考え方は、バブル時代に会社に勤めているだけで大きな収入があったことに起因します。バブルが弾けて景気が悪くなってからは必ずしも正しい選択とも限りません。→詳細はこちらのコラムで←)
一方ブラック企業はいかに安い賃金で働く、残業時間を払わない等の考え方を全て当たり前だと思っています。
それぞれの考えで進み、その結果はどうなるでしょうか?
・正義を掲げたものは上にこき使われ、耐え続けることにつかれたこの世を去った。裁判で遺族が会社を訴えて勝訴したとしても、その時間と、なによりこの世にいない人間はもう「戻らない」
・ブラック企業
安い賃金で労働力が確保でき、会社の収益がアップ。場所によっては、ネームバリューも付き、問題が起きても生き残るぐらいの耐久力がついているかもしれません。莫大な賠償金を支払うことになったとして、最終的に悲惨な末路を迎えることがあるだろうが、中には逮捕等されても釈放後、最後まで苦労せず笑いながら人生を終える人物もいるかもしれません。
例2.)接客
接客側が正義として、クレーマーが悪としましょう。
接客側は「お客様が神様」という言葉を信じてどのお客様も誠意をもって対応します。
クレーマーは自分本位にしか考えないので、理屈も何も通用せず、自分のわがままだけ通します。
・接客側
お客様はどんな人でも神様だと思わないといけないので、どんな怒りを覚えるような人でも下手にでて我慢しなければなりません。ストレスを抱え、人によっては精神を病んでしまい今後の人生に支障をきたすことも・・・。
・クレーマー
無理難題やいちゃもんを容赦なく押し付け、応対者の精神に攻撃してきます。時には「痛快TVスカッとジャパン」みたいなケースもあるかもしれませんが、大抵の場合はそういったことは起こらず、周りに嫌われることはあるかもしれないが図太い性格の人が多く特には気にしていない。(そもそも気づかなければ余計なことは考えないので生きる上で支障はない)
2つほど例を挙げてみたが、どちらの立場が一番損していないのでしょうか。判断はお任せしますが、正義を掲げるほど自分の首を絞める結果になっているのかもしれませんね。
P.S.
職場の同僚に、「〇〇さんは優しすぎる」と言われたことがあります。理屈が通っていない客や面倒くさい客もたくさんいますが、接客の仕事をしている以上誠意をもって対応するようにしています。
過去の経験で、ルールは従う(正義)に従って自分の気持ちを我慢した結果、鬱病になったケースも何度もありました。
私生活もなるべく皆に優しく、尊重することを心がけていたのですが、最近は自分を偽ることを少しずつ辞めて、自分の意見がある場合ははっきり言うようになりました。
とはいえ、思いやりは大切なことだと今でも思っているので、その根底部分は今まで通りでもいいのかなと思っています。
ところで、「痛快スカッとジャパン」とかのケースを見ると毎回不快感におそわれます。内容は勿論なのですが、最後にどんでん返しでスカッとする出来事が起こるようケースって実際あまりないです。悪は必ず天罰が下るとも限りません。むしろ正義を押し付けているような印象が特に強い番組なので、私は不快になる前に見ないようにしています。(小説とかの人物像の参考にはなりそうですが・・・。)
でもなぁ・・・実家帰るといつもついてるんですよね、この番組(。_。)