“結果が全て”という言葉がある。

例えば試験の合否。

本来の力が出せずに点数が微妙だったとしても受かれば問題ないといったところだ。

だが、たとえそこで結果が出たとしても、上手く行かなかった理由をおろそかにしていると足元をすくわれることもでてくるだろう。

それがもしかすると人生の分岐点となるのかもしれない。

私が中学生の頃の話。

中学三年生で受験を控えていた時期にはよく模擬テストが行われます。定期的に行い、自分が今どこまで進歩しているのかというところを見れる絶好の機会です。

私の場合は、ある日を境に勉強から目を背けるようになり、ほとんど自分から勉強しなくなっていました。この時期も同じです。それでも中の上ぐらいだったので特には気にしていませんでした。

夏ごろに行われた模擬テスト。この時の模擬テストはかなり難易度が高くなっていたこともあり、ほとんどの人が点数を落とす結果となっていました。

どうやらAがきたらBみたいな単純な回答ができるものが少なかったみたいです。

そんな中、私はいつもよりちょっとだけいい点を取っていました。そして面談がそのあとあったのですが、思わない展開へ発展します。

担当の先生から叱られてしまったのです。

「お前、重要な時期なのに勉強してないだろ!」と

どうやらこのテストで前回より点数上がった人はほとんどいなかったらしく、今までの点数の推移からバレてしまったみたいです。

なんで怒られたのだろうと思ったのですが、結果的に数か月の勉強で公立高校へ進学できたので、特に今のままでも問題なかったのかなとその当時は軽い気持ちで考えていました。

その答えは大学受験の時に分かります。高校2年の終わりまでは勉強を全くせず、赤点にならないぐらい程度の勉強しかしませんでした。高校3年生からは気が変わって親の為に国立の大学を目指そうと勉強を始めます。勿論成績もぐんぐん上がっていき、気づけば成績は中の上ぐらいになっていました。

なんとか地元の国立大学には手に届きそうと思っていました。しかし、現実は甘くありませんでした。本番の試験で今までが嘘のように成果がでず、合格できませんでした。

結局精神的に参った私は、センター利用で受かる大学(いわゆるすべり止め)に通うこととなります。

もしかしたら国立に行っていれば、パチンコとかいう闇に足を入れることはなかったかもしれません。ブラックな会社、安い給料の会社に勤めることにもならなかったかもしれません。

目の前の結果だけ見て、将来を何も考えなければ人生は天と地ほど変わってしまうこともあり得るということです。

今ならわかります。あの時どういう意味で怒られたのかを冷静に判断できれば、高校生以降の生活が180度変わっていたのではないかと。

生きている間に、いくつもの分岐点が訪れます。もし、今結果が出ていたとしてもそこで守りに入らずに将来を見据えていくことを頭の隅に置いておくべきです。

未来を想定して動くことが、将来の自分に多くの可能性を見出すはずです。

P.S.

かといって、あの時ああしていればということをずっと思っている人がいるのであれば今すぐ辞めて切り替えましょう。

過去は変える事ができません。私も過去ずっと後悔や失望を繰り返していましたが、その中で進展したものは何一つありませんでした。

その気持ちを断ち切って、なんとか自分に自信を持たせるにはどういう行動をとればいいかを考えだしてからやっと時間が動き始めたイメージです。

こんな借金紛れでギリギリの生活の中でも希望に満ち溢れています。

もし同じ境遇の人がいるのであれば、忘れる必要は全くないです。その結果・経験を活かして遠い未来を見据えて今日できることからコツコツ行いましょう。

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